ナイチンゲールの呼び名「クリミアの戦士」の由来や多くの実績について

ライター:鈴本 鈴

nightingale

みなさんの中に、ナイチンゲールはどのような人だと写っているでしょうか?私の医療者でない友人は「看護でなんかすごいことした人なんでしょ?」という認識でした。どこかで聞いたことある名前だけど、小学校の時の偉人たちの読み物の中の一つだったかもしれません。更に、看護の道を目指す人では目指したからこそ出会った名前かもしれません。
私自身、看護の道を目指すまでナイチンゲールを意識したことはなかったですが、現在「看護師」という専門職業人であるからには、忘れられない・忘れてはならい人物であると思っております。今回はナイチンゲールが何をした人なのか?お話ししていきたいと思います。

ナイチンゲールとは?

ナイチンゲールの名前を知ったのはガンダム?

ガンダム?と思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、1979年頃から始まった滅茶苦茶流行ったアニメです。愛好家は多く今でもたくさんの人が「ガンダムLOVE」と登場人物を愛していらっしゃると思うのですが、その作品の中でシャア・アズナブル(世間ではシャア様みたいに言うそうです)の動かした機体が「ナイチンゲール」という名前だそうです。アニメ愛好家にはガンダムで知られ、TVドラマ好きの方には「ナイチンゲールの沈黙」がナイチンゲールを耳にした初めかもしれません。このドラマは2006年だったと思います。

そして、ドラマの題名になるのを見ていると何やら含みのある言葉に思えると思いませんか?しかし、前者のガンダムでは人としてのナイチンゲールではなく、鳥としてのナイチンゲールを意味含ませて考えられていた様です。鳥であるナイチンゲールはギリシャ神話では「愛の鳥」と言われていましたが、民間伝承では「墓場鳥」と呼ばれていたのです。またドラマ「ナイチンゲールの沈黙」は人としてのナイチンゲールを意味しているようです。看護師を指したかったのでしょう。

「クリミアの戦士」と呼ばれたナイチンゲール

ナイチンゲールそのものをお知りの方は、その人が看護師として何かを成し遂げたという人だということはわかっていると思います。そう、クリミア戦争に従軍看護師として働いた一人です。日本の従軍看護師は「戦士」とは呼ばれませんよね。日本では「ひめゆりの塔」が有名です。戦場にて負傷兵を手当する役目の人です。

太平洋戦争の頃の日本では、看護師(その頃は看護婦)の教育は女学校を出て最終的には半年の看護婦としての学びをしていれば戦地に出ることができたのですが、自からの出願ではなく、看護婦が既にそこ尽きてしまい現地で兵士の世話をする人がいなくなるから、学びに期間をどんどん短くし、女学生は全て看護婦にして出すぐらいの勢いであったと思われます。ひめゆりの生き残りの方達は、男の人が兵隊さんとして日本のために働いている所で、自分たちに出来ることがあるのならばという思いを奮い立たせて戦地へ向かったそうです。

では、何故ナイチンゲールは「戦士」と呼ばれたのでしょうか?ナイチンゲールは自ら戦地に赴くことを志願し、その戦場の悲惨さを目の前にし、看護師として何をすべきか?何ができるのか?を考え抜いた人でした。当時の看護師としての位置づけは「下女」と同じ扱いであり、医師に物申すなどの立場ではなかったのです。

しかし、戦場の負傷兵たちの受けている医療は、縦断が当たれば切断手術、木片が刺さっても切断手術、麻酔薬など存在すらしておらず気絶させることが麻酔と言えるものでした。消毒や殺菌などの概念はなく、創部が感染して壊疽してしまえば再度、切断手術です。寝かされている環境は不衛生極まりなく下水道の上に建てられた建物が病院という建物でした。しかも、床や板切れの上に寝かされ、およそ医療と呼べるものでなく人の命を助けているというよりも苦しめていることにつながりかねない状況です。

そこで、ナイチンゲールは何をしたかといえば、看護師として衛生環境という考え方を持ち込んだのです。トイレ掃除からはじめ、清潔な環境を作るために必要なことを考えだし、その環境改善によりどれだけ現場の死亡率が下がったのかを視覚的に統計学として表した人なのです。これだけでは「戦士」とは呼ばれません。看護としてこの先が大切であり、戦士の立場に立ち、この先、命助かった戦士がどうすることが幸せなのか?国に残した家族への思い、故郷への思いを募らせていても戦地にいては何もできないという思い、戦いしかない戦地においてほかにすることがない兵士達は命が助かってもどうすることも出来ないことをナイチンゲールは自己の人脈を使い成し遂げていったのです。

兵士の立場に立ち、兵士の生活を確立する。その姿は兵士達からは「白衣の天使」と呼ばれ、現在に至ります。しかし、ナイチンゲールは「白衣の天使」と呼ばれることに対して、喜んではおらず「天使とは、美しい花を撒き散らす者でなく、苦悩する者のために戦う者である」と言われたそうだ。やはり、自ら戦士だと思われていたのでしょう。




ナイチンゲールの代表作「看護覚え書」以外での活躍も

統計学も含めたナイチンゲール文書

看護師としての役割、統計学者としてのお話をしてきましたが、ナイチンゲールが世の中でになった役割はこの二つ限りではありません。実はナイチンゲールの残したものは「看護覚え書」だけではなく、大変多くの文書を残しており、「著述家」でもあります。文章を各人のことで現在ではライターとも言えます。150篇を超える印刷物、12000通以上になる手稿文献を書き残しているそうです。これらは「ナイチンゲール文書」呼ばれている文献です。

看護に関する文献から始まり、イギリス陸軍に関するもの、インドおよび植民地の福祉に関する文献、病院に関する文献、統計学に関すること、社会学に関すること、宗教・哲学にも及んでいます。そんな著書の中で有名になったものの一つが「看護覚え書」であるのです。して、看護師なのか?と問われれば「YES」と言えます。看護師としての資格を有して現場たった経験のある看護師です。しかし、この頃のイギリスの病院といえば「不潔の巣窟」と思われており、看護師は「下女」と同じ扱いでありお嬢様のナイチンゲールは家族からの反対を受け、資格を取るまでは大変な苦労をしたようです。しかも、看護師として現場に立ったのはクリミア戦争での従軍時の2年間だけなのです。

しかし、看護覚え書を記すことができたということはなナイチンゲール自身が看護に対しての考え方を看護師になる前から持っていたことにつながると思います。お嬢様であるナイチンゲールは当時の女性としては大変高い教育を受けています。当時の上層階級で社交界としての一員として認められた生活を持っている人です。そのように暮らすことはナイチンゲールにはたやすいことであったかもしれないけれど、ナイチンゲール自身は「自分が自分らしく有りたい」と思っていたようで、上層階級の生活は苦しいものだったそうです。ナイチンゲールは現場歴2年足らずの新人者だったかもしれないけど、「看護であること」と「看護でないこと」を明確にし、宗教と切り離して看護を考えた看護師です。

死亡率の低下を導き出した「看護の発見者」

職業として上げてしまえば「看護管理者」「統計学者」「衛生改革者」「病院建築家」「社会改革者」などのことが挙げられます。そして、忘れていけないのが「看護の発見者」です。看護を世の中で初めて「定義」した人になります。クリミア戦争終結までにナイチンゲールが成し遂げたことは、死亡率の低下であり、その理由は療養環境の改善が挙げられます。病院の徹底的な掃除、汚物の除去、換気、清潔なベッドの提供、清潔な体の維持、台所の設置をし、温かい食べ物の提供できる環境、兵士たちの余暇を過ごせる環境整備などです。

今から考えれば当たり前のことであり、看護を学んだものであれば「そんなこと」と感じることかもしれませんが、現在、臨床にいる看護師で環境整備の必要性を心から感じて行っている看護師はどれだけいるでしょうか?組織の中はたくさんお役割分担で成り立っていますが、看護師の代わりに院内清掃に入ってくれている方々に感謝しているでしょうか?あなたの仕事はなんですか?と問いたくなる対応をしている人もいます。そして、戦時中ということもありますが、ナイチンゲールの考えた戦時中看護は現在の「災害看護」の原型となっています。

このようにお伝えすれば、先の述べた役割を担った人であるということが少しは全体的に感じ取れていただければと思います。また、統計学者としては「バッツ・ウイング」「ローズチャート」というグラフを自ら作りだし、看護の現場で収集したデータを人の目で見て数字だけでなく視覚に訴える統計図として表しました。更には現在の病院建築学の基礎にナイチンゲール病棟と言われるものがあります。ベッドの間隔、窓の位置、数。厨房、など徹底的に換気にこだわった内容とも言えるものです。

そのように病院という建物そのものを拘って、拘って、こだわり続けた看護師ナイチンゲールですが、ナイチンゲール文書の中には「私は、この世から全ての病院がなくなればいいと思っています」と言いのけているのです。ここにもナイチンゲールの素晴らしさが見えると思います。

裕福なナイチンゲールが看護師になろうとした理由

宗教と看護を切り離して考えた人

今まで、ナイチンゲールの成し遂げてきた偉業とも言えることを伝えてきましたが、そもそも、ナイチンゲールは「下女」と思われているような看護師という仕事に何故、就こうと思ったのでしょうか?イギリス上流階級の一員であり、社交界のデビューも済ませて認められていた「お嬢様」。このまま暮らすことのほうが人生容易いと思いませんか?更に、結婚をナイチンゲールはしていないのですが、結婚生活そのものが今までの生活の延長であると考え、社交界に留まることになると思い、結婚への思いも断ち切ってしまったのだそうです。

今の時代であれば両方を得ることもできたかもしれませんが、時代が時代ゆえに厳しい選択を取らざる得ないのでしょう。そんなナイチンゲールは「神のお告げを受けて看護の道を決めた」と言われています。ナイチンゲールは無宗教者であり、イエスキリストとしての神を信じていませんでしたが、自分が信じうる何者かの存在は信じていたようです。しかも、二度までも受けているといいます。一度目は1837年。ナイチンゲール17歳です。「私のもとに来て奉仕しなさい」とお告げを受けたそうです。これでナイチンゲールは自らの道を看護に決めたようですが、どうやって看護師になるか?認めてもらうか?などのことを悩んでいたそうです。そして1851年に二度目のお告げ「他人の評価を気にせず,神に奉仕しなさい」とのお告げを受けたと記録が残っています。そんなナイチンゲールは「宗教と看護を切り離して考えた人」であるのですが、これは現代に至っては大きな遺産となっていると私は思います。

当時のイギリス、上流家庭の人が病になれば医者が往診に来てくれます。しかし、貧しい人たちは病院に行くのですが、病院にもいけないと教会にやってくるのです。そこでは修道士・修道女が世話にあたります。これが看護の原型とも言われています。ですから看護師の仕事は男性が先だったとも言われているぐらいです。現在は女性ばかりの職場になっていますが、元は男性の職場でもあったのですね。

そのような時代背景はありながら、宗教と看護を切り離してくれたことは誰でもが看護師になることができる道になったと思います。信心するものでなければ看護師になれないとなりかねないからです。逆に言えば、信心していれば看護師になれるというのも、恐ろしいことになります。やはり専門職業人としての第一歩として宗教との離別が必要であったのです。この時代に父親から女性も学が必要であるということで、多くの知識を身につけた(哲学、数学、経済学、天文学など)女性であったからこそ、お告げは受けてもそれを職業と結び付けない聡明さが伺われます。




「看護の発見」とは、どんなこと?

「看護であること・看護でないこと」を定義づけた

では、漠然と感じられる「看護」の発見とは、何をしたことのことをいうのでしょう。看護師として「看護とは何か」ということを曖昧であっても持つことは大変必要なことだと私は思っております。それは、完璧でなくていいし、いつまでも不完全です。しかし、磨き続ける必要があると思っています。そんな時、何が看護であって、何が看護ではないのか?この事を知っていければ、看護を提供していくことが仕事の看護師は「看護観」を磨き続けることが出来るのでないかと思うのです。その為に理論があります。そして、人類で初めて「看護であること・看護でないこと」を定義づけた人がナイチンゲールなのです。人類史上初の書物が「看護覚え書」なのです。

第1版は1859年出版で、出版されるやいなや1ヶ月で15000部も売れたそうです。看護という営みが世の人々の間で話題になった瞬間であり、看護という仕事に光が当たった週間でもあります。第2版は、看護師としての教育のために使われたそうです。そのような中であってもナイチンゲールは本来の看護とは何か?を伝え続けてくれています。現在は増版され第7版となり少しずつの改訂はされていますが、看護覚え書の「はじめに」にて1行目には「「この覚え書は、看護の考え方の法則を述べて看護師が自分で看護を学べるようにしようとしたものではけっしてないし、ましてや看護師に看護することを教えるための手引書(マニュアル)でもない。

これは他人(ひと)の健康について直接責任を負っており女性たち、考え方のヒントを与えたいという、ただそれだけの目的で書かれたものである」」と書かれています。そして、「「こうした知識は誰もが身につけておくべきものであって、それは専門家のみが身に着けうる医学知識とははっきり区別されるものである」」と続けています。はじめにの最後は「「私はあえてここにいくつかのヒントを述べてみた」」と締めくくられており、この看護覚え書は看護師のために書かれたものではないけれど、看護とはどのようなことで、看護であることと看護でないことを自ら学んで行けるように書かれたものでした。だからこそ、看護師の看護のものさしになりえ、振り返りの元となり、看護を見つめ続けられることになるのだと思うと、看護を発見していく手立てのものなのだと思っています。

嫌われることもしばしばあった

これだけのことを成し遂げるには、他人から、やっかみ、嫉妬、恨み、など知らないうちに向けられることもあったと思います。実際にクリミア戦争では「鉄の女」と呼ばれたらしいです。当時、看護師の教育が行き届かない時代では看護師の地位は低く、男性の相手をするようなこともあったそうなのです。しかし、看護師を専門職業人として独立させ、地位をあげようとしたナイチンゲールは戦場で奉仕する女性たちを夜は部屋に閉じ込めて鍵をかけたり、ナイチンゲールの意に沿わない女性は送り返したりしたそうです。

看護師がどのように見られていたのかを知っているからこそ、彼女たちのため、彼女たちの親を納得させるためにワザと厳しい態度を取っていたらしいです。しかし、「鉄の女」とは厳しい言葉ですよね。実際のナイチンゲールは戦場で負傷した兵士や、病気になった兵士たちに献身的に奉仕し、安らぎを与えていたらしいです。

実際には、24時間ぶっ続けて負傷兵の対応をしたり、兵士の包帯を交換するために8時間膝まづいていたとか、2000人の負傷兵を看取ったなど言われており、特に重病者にはナイチンゲール自ら看護に当たることが多かったなどがあり、献身と奉仕としか言い様がないと思います。また、戦場だけでなく統計学者としても学者が男性世界であったことから、女性の進出についての受け入れができていないからこそ、心無い仕打ちを受けることが多かったでしょう。

ナイチンゲールについて、少しばかりお話してきました。どんな人なのか?何をした人なのか?など一面に触れることはできたでしょうか?看護師であっても看護学概論という授業の中でナイチンゲールを学び、その学びは机上のものであることが多いかと思います。看護覚え書も、たとえ実習において活用していても、文字が残るばかりで、文字を追うばかりになっていることがあると思われます。
しかし、ナイチンゲールが「「他人の健康に責任を持つもの」」に対して考えのヒントに書かれた書物であるならば、すべての人が読んで不思議のない本であるのです。何故なら一生のうち子供とか病人とか、とにかく誰かの健康に責任を負うことになるのだから・・・この先は、「ナイチンゲールと日本の看護の歴史」について語っていければと思います。

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